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結果及び考察



 図3にFe(III/II)溶液中に於ける典型的なa-Si電極の電流(I)-電位(U)曲線を示す。電流値は、平衡電位から特定の負の電位まではほとんど0で、その特定の負電位を超えると急激にカソード電流が立ち上がる、というn型半導体の挙動を示しており、このことはよく知られている事実と一致する1),6)

図3

図3 Fe(III/II)水溶液中における電流-電位曲線


 作製後数日〜数カ月経過した試料をエッチングせずに使用した場合、暗時のI-U曲線の立ち上がりの位置から、フラットバンド電位,Ufbとして約-0.55V vs. SCEという値が読み取れる。別に光照射下の開放電圧,Vocの測定を行なった結果、0.6〜0.7Vという値を得た6)。これは理論的に発生可能な最大電圧、即ち、溶液の酸化還元電位,Eredoxの値とUfbとの差[+0.35-(-0.55) = 0.90(V)]、の約70%に相当する。
 光照射下のI-U曲線は図3に示すようになる。また同じ光照射下で得られるI-U曲線から求められるフィルファクターは極めて小さく(約0.1)、ソーラーセルとしての効率はあまり良くない。また、Fe(III/II)溶液中では、測定した数十個の電極すべてについて、I-U曲線に図3のようなヒステリシスが観測された。
 図4には、他の3種類の溶液(HQ、BQ、Fe-EDTA)についてのI-U曲線が示されている。曲線の形はFe(III/II)溶液の場合とほぼ同じであるが、ヒステリシスは現れていない。

図4

図4 各種水溶液中における電流-電位曲線


 BQ溶液、HQ溶液でのUfbの値はそれぞれ-0.65V vs. SCE及び-0.75V vs. SCEであり、Fe(III/II)の場合と比べてEredoxの差(それぞれ0.16V及び0.29V)に近い値だけ異なっている。一方、Fe-EDTA溶液では、Ufbは-0.80V vs. SCEであり、Fe(III/II)のUfbとの差は0.25Vで、Eredoxの差0.5Vよりもかなり小さい。BQ溶液、HQ溶液中でVocの測定を行なうと、その値は共に約0.65Vとなり、Fe(III/II)の値とほぼ等しくなった。しかし、Fe-EDTA溶液の場合は、Vocは0.4Vという低い値になることがわかった。Fe-EDTA溶液を除く3種の溶液に見られる2つの傾向、即ち、UfbEredoxに依存する、ということ、及びVocEredoxに依存しないということは、Fermi Level Pinningの現象に由来するものと考えてよい11),14),16),21)


Fermi Level Pinning

 図5は、数個の試料についてUfbVocEredoxに対してプロットしたしたものである。Ufbについては(図5a)、Eredoxが0〜+0.2V vs. SCEでは傾きがほぼ1であるが、これより正の部分ではやや小さく、また負の部分では傾きが0.25程度になっている。一方、Vocに関しては(図5b)、0〜+0.2V vs. SCEでは傾きは0で、これより正の部分では0.2、負の部分では1に近くなっている。

図5

図5 Ufb、VocのEredox依存性


 図中の直線は傾き1の場合を示しており、図5aでは、これはFermi Level Pinningが完全に起こっている場合に対応し、図5bでは逆にFermi Level Pinningが全く起こっていない場合に対応する。これらの図から、UfbVocの値に現れるFermi Level Pinningの効果は、Eredox = 0〜+0.2V vs. SCEで最も大きく、これよりも正のEredoxを持つ溶液中ではやや小さく、そして負のEredoxを持つ溶液中では非常に小さいということがわかる。完全なFermi Level Pinningの状態というのは、溶液と半導体との間の電荷の移動が、ほとんど溶液と表面準位との間で行なわれ、接触前の溶液のEredoxと、半導体のフェルミレベル,Efとの差が界面のヘルムホルツ層の電位降下でほぼ完全に補償されている状態のことである14)Eredoxが0〜+0.2V vs. SCEの領域ではほぼこの状態に近くなっていることが図5からわかる。しかし、表面準位が少ない場合には、非常に正、或いは負のEredoxを持つ溶液と接触すると、表面準位だけでは十分な電荷を供給できなくなり、半導体の内部にも新たに電荷が導入されることになる。その結果、EredoxEfとの差はヘルムホルツ層の電位降下だけでは補償できなくなり、半導体の空間電荷層の電位降下にも変化を生じる、即ち、Fermi Level Pinningの状態からはずれてくることになる。図5のEredox > +0.3V vs. SCE、及びEredox < 0V vs. SCEに見られるUfbVocの傾きは、このような状態を表していると思われる。
 光照射を行なうと、Fermi Level Pinningの存在を示唆するカソード電流の立ち上がり電位(図3、4)に変化が起こることが観測された。そこで光照射時間による立ち上がり電位の変化を定量的に調べるために、電極を一定時間光照射した後、暗状態でI-U特性を測定する、という操作をくり返し行ない、Ufbの変化を追跡した。図6は光照射によるI-U曲線の変化の一例を示したものである。

図6

図6 光照射による電流-電位曲線の変化(Fe(III)/Fe(II)水溶液中)


縦軸のスケールを調節することによって、すべての曲線をほぼ同じ形にすることができ、それから各々のUfbを読み取る。このようにして得られたUfbの値の、光照射前の値からの変化量,ΔUfbを、光電流の時間積分によって得られた電気量,Qに対してプロットしたのが図7である。

図7

図7 Ufbの光照射による変化


 Fe(III/II)溶液では光照射によってUfbが正の方向へ動き、BQ溶液でもFe(III/II)溶液に比べて変化は小さいが、やはり正の方向へ動くことがわかる。これに対してHQ溶液の場合は、逆に負の方向への変化が認められた。その結果、3つの溶液の間のUfbの差はしだいに増加して、最終的にはEredoxの差にほぼ等しくなる。このことは、表面準位が増加して、Fermi Level Pinningが進んだことを意味する。また、図6に示したように、I-U曲線を光照射の前後で比較すると、光照射を行なう度に電流値は減少している。この電流値の減少、即ち電気抵抗の増加は、電極表面に酸化膜が形成されていることを示している。しかし、a-Si電極とPt対極との間の回路を開いた状態では、3時間の光照射を行なっても、I-U曲線の形には変化は見られなかった。このことから、酸化膜の形成やUfbの変化には、電流が半導体/溶液界面を通して流れることが必要であることがわかる。短絡状態で光照射を行なった場合、光生成した正孔の一部が電極表面の酸化に使われ、それに伴ってa-Siと酸化膜との界面に表面準位が形成される、と推定できる。
 図7に於いて、BQ溶液とHQ溶液の間で変化の方向が逆になっていることは、表面準位,Essと、これらの溶液のEredoxとのエネルギー的な位置関係が逆になっていることを示唆する。即ちEssはBQの EredoxとHQのEredoxとの間にあり、その値は約+0.1V vs. SCEである、と見積もられる。図7のUfbの変化をバンドモデルで説明すると図8のようになる。Fermi Level Pinningが進むにつれて、Essよりも正の電位を持つ酸化還元物質についてはUfbは正の方向に動き、負の電位を持つ酸化還元物質については負の方向へ動く様子が示されている。

図8

図8 表面準位の生成に伴う変化を説明するエネルギーバンド図


 以上の測定は、エッチングをしていない、即ち初めから表面に酸化膜がある程度存在している試料について行なったものである。そこで次にエッチングを施した試料について、そのFermi Level Pinningの状態を検討するために、I-U曲線、及びVocの測定を行なった。しかしエッチング後の表面状態の水溶液中に於ける変化は非常に速く、I-U曲線からその変化を追うことはできなかったので、Vocの時間変化を測定して、Fermi Level Pinningを調べることにした。図9にその結果を示す。

図9

図9 エッチングしたa-Siの水溶液中におけるVocの経時変化


測定した3種類の溶液すべてに時間と共にVocが減少して行く傾向が見られるが、この現象には、表面の酸化の進行や、再結合中心の生成等が関係していると思われる。溶液によるはっきりした相違は、電極を液に浸漬した直後から約20分の間に見られる。即ち、Fe(III/II)ではVocの減少が非常に急激であり、BQ溶液中ではやや緩やかに減少するのに対して、HQ溶液では小さなピークが見られるということである。Vocは半導体のバンドの曲がりの深さによって決まるものであるから、図8から明らかなように、Fermi Level Pinningの起こっていない状態からPinningの起こっている状態へ移行する場合、EredoxEssではVocは減少を示し、一方EredoxEssではVocは増加を示すはずである。このことから、図9に示された初期の変化は、エッチングによって表面準位を含む層が取り除かれ、Fermi Level Pinningが起こっていない、或いは起こっていてもその程度のごく低い状態になっていた電極が、溶液に漬けることで再びエッチング前の状態に戻って行く、ということで説明できる19),20)。エッチング後の最初の測定を行なった時点で、VocEredox依存性(例えば、Fe(III/II)とBQで、Eredoxの差0.16Vに対してVocの差は0.11V)は、表面準位の無い状態から予測される値(Eredoxの差に等しい)よりも小さい14)。従って、既にかなりのFermi Level Pinningが起こっていることがわかる。表面準位は水溶液に浸漬するとすぐに生成し始め、20分以内で大部分の変化を終えてしまうものと思われる。
 エッチング後20時間水溶液中でVocの変化を追跡し、再びエッチングを行なって同様の測定をくり返したところ、毎回同じ結果が得られた。また、エッチングした電極をすぐに水溶液に漬けないで10時間空気中に放置し、その後水溶液中でVocの変化を追ってみたが、エッチング直後に測定した場合とほとんど違いは見られなかった。このことが図10に示されている。

図10

図10 水溶液中および空気中におけるVocの経時変化、および
   それに対するエッチングの効果(Fe(III)/Fe(II)水溶液)


しかし、空気中に2週間放置したものは、水溶液に浸漬して数時間経過したものとほぼ同じ傾向を示し、Vocは初めからやや低く、経時変化も小さかった。従って、空気中では水溶液中と比べて表面準位の生成が非常に遅い、と結論できる。これとは別に、溶質の濃度を半分にした液中でも測定を行なったが、Vocの時間変化はもとの濃度の場合とほとんど同じであった。HQ溶液の場合を図11に示す。また、このVocの変化には液の撹拌による効果も見られず、これらのことから、表面準位の生成には主に溶媒の水が関与していることがわかる19),20)

図11

図11 HQ濃度を変えた場合のエッチング後のVocの変化


I-U曲線のヒステリシス

 Fe(III/II)溶液中ではI-U曲線にヒステリシスが観測される(図3)。この現象は、a-Si電極に負の電位をかけることによって表面の酸化膜が部分的に還元され、電位を戻すと再び酸化される、ということが原因であると思われる。この還元、酸化の過程に不可逆性があり、還元電位が酸化電位よりも負であると、ヒステリシスが現れる。一般の金属と同様に、Siの酸化反応やその酸化物の還元反応はpHの影響を受けることが知られている。そこで、BQ溶液及びHQ溶液にH2SO4を加え、pHを下げてI-U曲線を予備的に測定したところ、pH<4で図3と同様なヒステリシスを観測することができた。また、pHの値によってヒステリシスの現れる電位が異なることもわかった。そこで、Fe(III/II)溶液も含めた3種類の溶液について、ヒステリシスの原因である表面の酸化電位、及び還元電位のpH依存性を定量的に調べた。
 還元電位、及び酸化電位の求め方を図12a及び図12bに示す。

図12

図12 表面還元電位(Ured)および表面酸化電位(Uox)の決定法


 外部電圧を印加してa-Si電極を或る負電位にし、そこから外部電圧を下げて、カソード電流を測定しながら平衡電位に戻す。次に前回よりもわずかに負の電位にして再び平衡電位に戻す。この操作をくり返し、正→負に掃引する時の電流よりも、負→正に掃引する時の電流が大きくなってヒステリシスが現れるようになった時の電位を還元電位,Uredとする(図12a)。逆に、初めにUredよりも負の電位をかけておき、ここから印加電圧を減少させて電位を正方向へ動かし、或る電位から元の負電位に戻すという操作を電位の掃引幅を変えてくり返し、正→負の曲線が負→正の曲線からずれ始める電位が酸化電位,Uoxである(図12b)。このようにして、いくつかのa-Si電極について得られたUredUoxの値を、種々のpHのFe(III/II)溶液、BQ溶液、HQ溶液についてプロットしたのが図13である。

図13

図13 a-Siの電位-pH図


この図から、電極表面の酸化状態は溶液の種類に関係なく、pHと電位とで決定されることが分かる。図中の酸化電位を示す直線よりも上の領域では、a-Si表面は酸化状態であり、還元電位を示す直線よりも下の領域では還元された状態にあることになる。
   Si + 2H2O ←→ SiO2 + 4H+ + 4e-   (1)
なる反応の酸化還元電位は、pH=0で-1.1V vs. SCEであることが知られており、また(1)式で示される酸化還元電位のpH依存性は-0.06V/pHであることは明らかである27)。一方、図13に示したように、UredUoxのpH=0に於ける値はそれぞれ、-0.05及び-0.50V vs. SCEで、そのpH依存性は共に-0.10V/pHである。従って、今回観測された反応は、(1)式のようなSi(0)からSi(IV)への変化ではなく、電子1個の移動につき1〜2個のプロトンが関与するような、或いは表面のプロトン化に伴う電気二重層の形成が影響するような、より酸化数変化の小さい反応が組み合わさったものであろう。また、反応の場が電極という固体表面であること、電極が結晶でなくアモルファスであり、表面の酸化物も当然アモルファス状態が予想されること、さらにこの電極が純粋なシリコンではなく水素がかなり含まれていること、なども、状況を複雑にしていると思われる。



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