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● 修士論文にまつわる よもやま話 ●


■ 無謀な挑戦

 卒業論文のよもやま話にも書いた通り、大学の無機化学研究室に入る時に、初めから修士も含めた3年計画でアモルファスシリコンの研究をすることになっていました。ですから、卒業研究をやりながら、実質的には修論研究もスタートしていたわけです。
 研究室にはアモルファスシリコンどころか、半導体に関する知識も経験も実験器具もありません。この状態で始めようというのですから、どう見ても無謀ですが、その無謀を敢えてやるところが無機研の助教授のいいところです。私も乗った以上はやるしかない、ということで、まずはアモルファスシリコンの第一人者である大阪大学基礎工学部の濱川先生のところへご指導のお願いに行きました。濱川研にはグロー放電でアモルファスシリコンを作る装置が何台もあり、それを使ってサンプルを作らせてもらうことにしました。その後、何度も大阪へはお邪魔させていただき、大勢の方々にお世話になりました。
 これで試料の調達は何とかなりました。問題はこのあとです。濱川研では、アモルファスシリコンを使って、いわゆる太陽電池を作っていました。一方、同じ時期に、東京大学の本多、藤島両先生の湿式光電池が注目を集めていました。こちらは酸化チタンを電極として水溶液中で動作する電池で、電気と同時に水を電解して水素を発生できるところが特徴です(この系の研究はその後一時期下火になりますが、最近また、水素を取り出すのではなく、光触媒や色素増感太陽電池という形で盛んに研究されています)。ここで第二の無謀で、アモルファスシリコンを水溶液に漬けてしまおう、ということを考えます。アモルファスならぬ結晶シリコンでも水溶液中で動作させれば腐食します。アモルファスシリコンがダメになるのは当たり前。ならばそのダメさ加減を見てやろう、ということで、電極としての挙動を調べることをテーマとしました。もちろん、あわよくば腐食しない条件でも見つかれば・・・という期待もありましたが、世の中そう甘くはありません。

■ またまた手作り

 テーマが未経験の電気化学になったので、まずは片っ端から文献を漁りました。毎日4、5時間の図書館通いです。さらに電気化学の権威である大阪大学の坪村先生に集中講義の講師として来ていただき、それに乗じて根掘り葉掘り、色々と教えていただきました。これでどうにか雰囲気が掴めたところで、またまた道具作りです。作ってきたアモルファスシリコンのサンプルは1cm□のステンレス板にコートされていますから、これを電極にしなければなりません。裏に銅線をつなぎ、この銅線をガラス管に通して、表面のアモルファスシリコン部分を残してエポキシ樹脂で固めてしまうのですが、銅線をつなぐところが最大のネックでした。普通のハンダを使うと、熱でシリコン膜が剥がれてしまうのです。試行錯誤の末、低温で溶けるウッド合金の粒を使い、ヘアドライヤーで全体を満遍なく加熱する方法に行き着きました。
 光照射する窓を持った電気化学セルは、得意のガラス細工で仕上げました。カロメル電極も、水銀の蒸留から始めて全て手作りです。光照射の装置も自作。子供のころから望遠鏡や顕微鏡などの光学器械を作っていたので、材料さえ揃えば何とかなります。この時は映写機を作った経験が生きました。
 電気化学の実験には、通常はポテンシオスタットと呼ばれる装置が必須です。しかし、研究室にはこれがありません。戸棚を引っ掻き回して見つけたのは、古い古い電位差計でした。抵抗線を内蔵した直径30cmほどの円柱型の部分をハンドルでぐるぐる回して抵抗値を変化させる、あの黒いヤツです。ポテンシオスタットには試料電極と参照電極との電位差を自動的に一定値に保つ機能があるのですが、これを、電位差計につないだ検流計の針を見ながら可変抵抗器を微妙に調節することでやろうとしたのです。当然、測定中は一瞬たりとも気を抜けない。検流計の針がちょっと右に振れればツマミを左へ、左に振れればツマミを右へ。隙を見て電流、電圧のデータを読む。今考えると、よくやったものです。
 その他、電源装置なども作り、どうにか測定できる体制が整ったのは1年以上経ってからでした。

■ 青天の霹靂

 ここで大事件が起こります。大学院に進学した年の5月末でした。前年から入院されていた助教授が突然に亡くなられたのです。これはショックでした。ほぼ組み上がった実験装置を前に、いろいろな思いが頭の中を駆け巡っていました。1週間ほど経ったころだったでしょうか。教授室に呼ばれました。教授は一言「君、これからどうする?」。私の腹は決まっていました。「このまま続けさせてください」。しばらく間があって、「わかった。ただし、専門外のことだから、具体的な指導はできんぞ」。これでやるべきことは決まりました。それ以後は、教授に定期的に状況報告をしつつ、研究の計画から実験、まとめまで、全て一人でこなすことになります。

■ 手づくり その2

 助教授の生前に計画していたもう一つのテーマがありました。それは、アモルファスシリコン膜を自分たちでも作る、ということでした。一般にアモルファスシリコンはラジオ波領域の高周波を使って原料のシランガスをグロー放電分解することで作製します。同様の放電はマイクロ波を照射することでもできる、ということで、助教授はマイクロ波発生機(マグネトロン)を準備していました。せっかく準備されていた機械ですから、何とかこれでアモルファスシリコンを作ってみようということで、装置の作製にとりかかりました。
 原料となるシランは空気中で自然発火する物騒なガスです。この数年後に九州の某電気メーカーでは、大規模な爆発事故を起こしています。本来は破損の危険のないステンレス製のガスラインを組むべきなのですが、資金不足の問題もあり、ガラス主体のラインを組まざるを得ませんでした。その代わり、場所として排気設備の付いた個室を確保してもらいました。ここに、あちこちからかき集めた真空ポンプや流量計、温調器、半田ごてを改造したヒーターなどを持ち込み、装置を作って行きました。

■ 自分で作った電気

 半年ほどかけて、ようやく装置が完成しました。次は実際に運転して条件出しです。もともと使い勝手を考慮した装置ではありませんから、1回実験するごとに必要な分解、清掃の手間が半端ではありません。それでも何とか基板上に膜ができるところまで漕ぎ着けました。これを電極にして、例の測定装置で評価してみました。
 結果は・・・・・、濱川研で作製した試料と比べて性能は大幅に劣るものの、曲がりなりにも光起電力を示しました。これはなかなかの感動ものでした。とにかく、何にもないところから始めて、ガスを原料に電気を発生するものが作れたのですから。このときの経験があったので、就職した後に超高真空装置や高圧装置の設計・製作や運転に携わった際に、何の抵抗もなく入って行くことができました。

■ 時間切れ

 あれやこれやとやっているうちに、あっという間に3年が経ってしまいました。修士論文は別掲のようにまとまりましたが、雑誌に投稿するまでには至りませんでした。
 それでも、やるだけやってみようと、就職した後に英文にして投稿してみました。レフリーの評価は、「中身は面白いが、このような系の基本である容量測定に基づく評価が抜けている。ぜひこの評価を加えなさい」、というものでした。容量測定をするには先に述べたポテンシオスタットがどうしても必要です。これがなかったために代わりの測定法をいろいろと考えてやって来たわけで、レフリーの指摘は予想していたとはいえ、痛いところを突かれたという感じでした。こうなると、どうしようもありません。自分で追加実験もできませんし、大学に後継ぎもおりませんから、残念ながら投稿は諦めました。ですから、この時の研究内容を公開するのは、このホームページが初めて、ということになります。



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