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● 鏡の世界の話 ●
鏡の世界は左右が逆?
「鏡に映った像は左右が逆になる」ということは誰でも知っていますね。でも、これって本当ですか? 床の上に鏡を水平に置いて、その上に立ったらどうなるでしょう。今度は上下が逆ですね。鏡は向きによって性質が変わるのでしょうか? それでは上下のない無重力空間だったら? 考えれば考えるほど、わからなくなって来ます。
実はこの問いはずいぶん昔からあって、これに対する解答もいろいろと考えられています。本も出ていますし、ネット上にもたくさんの関連サイトがありますから、これらを見れば、答えは得られるでしょう。ただし、その説明の仕方は人によって様々で、かえって混乱するかも知れません。どれが正しいというものでもなく、(明らかに間違っているものは別として)好みの問題、というところでしょうか。私もこの問題については子供のころから不思議に思っていて、ずいぶんいろいろと考えました。今でも完璧な説明ができる気はしないのですが、一応トライしてみましょう。
左右が逆転する、と感じる訳
鏡の前に立ってみましょう。そこに映っている自分の姿は、写真で見る姿とは少し違っています。髪の分け目が左側にある人は、鏡の中では右分けになっています。右手を挙げると、鏡の中の自分は左手を挙げます。明らかに「左右が逆」ですね。
でも、もう一度よく見てみましょう。自分の右手は右側にありますが(だから「右手」なわけですが)、それは鏡の中でも、やはり右側にあります。左手は鏡の中でも左側、頭は上側で足は下側。どれもそのまま映り込んでいます。つまり、「何も逆転していない」のです。では、なぜ鏡の中の人は左右が逆なのか。それは、自分と鏡の中の人を無意識に「重ねて」考えているからなのです。自分が鏡の中の人と「重なる」ためには、図1(a)のように、くるりと180度回る必要があります。すると、挙げた右手は鏡の中の挙げていない手と重なり、挙げていない左手は、鏡の中の挙げた手と重なりますから、「左右が逆転した」となるのです。どこが問題なのでしょうか。
図1 鏡の中の人と「重なる」方法
ポイントは、横にくるりと回ったことにあります。実は、縦に「でんぐり返り」してはいけない理由は何もないのです。この場合は、挙げた手はそのまま同じ側に来ますが、頭が足に、足が頭に重なって上下がひっくり返ります(図1(b))。また、もう一つ方法があります。回転しないで、そのまま突き進むのです(図1(c))。今度は、上下、左右はそのままですが、前後が逆になりました。要するに、「左右が逆転した」ように見えたのは、「左右が逆になるような動きで重ねた」ためであって、鏡が本来持っている性質ではなく、認識の仕方の問題なのです。鏡の中の人と重なろうとする時、まず、目の付いている側は揃えたいと考えるのが人情でしょう。ですから、図1(c)のような猪突猛進は考えません。次に、横回転と縦回転ですが、どう考えても横回転が自然ですよね。その理由の一つは、縦回転は骨が折れる、というものですが、無重力空間ではこの問題はなくなります。横回転を無意識に選択する大きな理由は、人間がほぼ左右対称だからではないでしょうか。横回転では体のかなりの部分がほぼ重なりますから、最も自然に感じられるのだと思われます。
別のケースとして、横になっている人の場合を考えましょう。地面に横向きに寝っころがり、例えば左手を挙げているとします。この状態で鏡に映ると、図2の上図のようになりますね。さて、鏡の中の人と重なってみましょう。この場合、最も自然なのは寝返りをうつことでしょう。その結果、挙げた左手は下側に来てしまいました(図2(a))。この人の立場では左右反転と言えなくもありません。しかし、そばに立っている他の人から見れば、この人は縦回転しているわけで、上側にあった手が下側に来たのですから、上下反転の状態なのです。そばに立っている人から見て横方向に回転すれば、当然、頭と足が入れ替わってしまうことはすぐにわかるでしょう(図2(b))。
図2 横になった人の場合
このように、鏡では上下も左右も反転してはいません。そのまま素直に映っているだけあり、無理やり重ねて考えようとする過程で、左右や上下の反転が起こるのです。では、鏡の中の世界と外の世界とはどこが違っているのでしょうか。もう気が付いている人も多いでしょうが、反転しているのは、実は「前後」なのです。鏡に近い所にある物は鏡の中では手前に、鏡から離れた所にある物は鏡の中では奥の方に映ります。図1(c)では、余計な操作は一切加えずにただ突き進みました。このように何もしないで重ねた時に逆になっている「前後」(もっと正確に言うと、鏡の面に垂直な方向)こそが、鏡が反転させる唯一の要素なのです。
裏文字の怪
鏡で左右反転が起こるのは単に認識の問題、と書きました。では文字の場合はどうでしょうか。鏡に映った文字は、確かに左右がひっくり返っているように見えます。これはどう説明したらよいでしょう。
これについては、ガラスなどの透明なものに文字を書いて映してみれば理解しやすくなります。図3の左端の絵を見てください。鏡には確かに左右逆の文字が映っています。しかし、手元にあるガラスの文字も、裏から見ることになりますから見事に裏返しです。つまり、元々裏返しになっている文字がそのまま映っているだけなのです。
図3 ガラスに書いた文字を映す
時間を少し戻して、ガラスに文字を書いているシーンを考えてみます。この時は、当然、正しい文字が書かれているはずです。このガラスを持って鏡の前に立ちます。文字を書いた面を自分の方に向けていれば、文字は正しく読めます。またガラスを通して鏡に映った文字も正しい形になっています(図3中)。さて、これを普通にやるようにして鏡に映して見ましょう。手に持ったガラスをくるりと回して・・・・・・と、ここでまた意図的な操作が加わりました。おそらく、たいていの人は横に回すでしょう。その結果、鏡には左右逆の文字が映ります(図3左)。しかし、ちょっとあまのじゃくの人がいて、縦に回したら・・・・・鏡には上下逆さの文字が映ることになるのです(図3右)。手元のガラスの文字が上下逆さになるのだから鏡に上下逆さに映るのは当たり前だ? 確かにそうですが、横回転の場合も、先に書いた通り、手元のガラスの文字は裏返しになるのですから、左右逆の文字が映るのは当たり前なのです。縦回転と横回転とを別扱いしなければならない理由は何もありません。要するに、手元の文字を鏡に映す際に何らかの逆転操作が加えられている訳で、鏡は単に右のものは右に、左のものは左に、上のものは上に、下のものは下に、そのまま映しているだけなのです。
それでは、鏡の反対側の壁に貼ってあるポスターや時計の文字盤の文字についてはどう考えたらよいでしょうか。理髪店での経験を持ち出すまでもなく、鏡の中の文字はみんな裏返しです。
まず鏡の反対側にある壁を見てみましょう。そこには正しい文字があります。鏡の中の文字は後ろにあるので見ることはできませんが、鏡の映像を、自分の後頭部を透かして平行移動で目の前に持って来れば、それは正しい向きの文字になっているはずです。ここで振り返って反対側の鏡を見ます。この時、見る人は横に回転しますね。ここで、先のガラスをひっくり返すのと同じ現象が起こり、文字の左右が逆転して見えることになります。この時、後ろの壁の文字を後頭部を透かして平行移動で前に持って来ると、やはり左右が逆であることがわかりますね。鏡にはこれがそのまま映っているだけであり、自分が横に回ったために全てが左右入れ替わってしまったのです。もちろん、横に振り返る替わりに仰向けに反り返って鏡を見ても構いません。この場合は上下が逆の文字を見ることになるのです。
自身の姿を鏡に映す場合にも、同じような逆転操作を考えることができます。例えば、ある別の人(Aさんとしましょう)が貴方と向き合っていて、貴方の後方に鏡があるとしましょう。貴方は右手を挙げています。Aさんから見れば、貴方は左側の手(左手ではありません)を挙げていることになります。さて、Aさんは貴方の正面(顔)を鏡に映すために、貴方を横にくるりと回しました・・・・・。おわかりですね。この時、貴方の挙げた手は左側から右側に移ります。そしてそのまま、鏡にも右側の手を挙げた状態で映り込むことになるのです。もちろんAさんは、貴方を強引に縦に回して逆立ちさせてもよいことは言うまでもありません。つまり、Aさんの立場からすると、貴方を直接見る時と鏡に映して見る時とで、貴方の体の向きを変えることになるので、今まで右にあったものが左に、あるいは上にあったものが下に来てしまうだけです。このようにしてひっくり返した後では、右のものは右、上のものは上にそのまま映っているに過ぎません。この後、鏡の外の本物の貴方と鏡の中の貴方とを重ねようとすると、図1で説明した状況になるわけです。
鏡の中の世界と外の世界を重ねる、という操作の意味
これまで、鏡の前で横や縦にくるくる回って来ましたが、もう少し数学的に見てみることにします。この世の中は3次元ですから、縦、横、高さの3つの方向があります。ただし、90度回転すれば縦のものは横になりますから、このような表現では具合が悪いので、3つの方向をそれぞれX、Y、Zとしましょう。各方向を示す矢印を描いて、これを鏡に映します(図4)。すると、図4(a)の場合にはX方向に垂直な位置に鏡が置いてありますから、Xの矢印の向きだけが逆になり、YとZの向きは元のままです。「鏡はその面に垂直な方向のみ反転させる」ということが、ここでも確認できますね。さて、鏡の中の3本の矢印のセットと、鏡の外の3本の矢印のセットとは重ねることができるでしょうか。もちろん答はノーです。例えば、Xの向きを一致させるために、Y方向を軸にして回転させてみましょう。すると、XとYは確かに重なりましたが、Zは逆になってしまいます(図4(b))。一方、Z方向を軸にして回転させると、今度はXとZは重なりましたが、Yが逆になってしまいました(図4(c))。このように、3つの方向のうちの一つが逆向きになった場合、これらをピッタリ重ね合わせることは不可能なのです。図1で、鏡の中の自分に重なろうとして横や縦に回りましたね。これはまさに、逆転してしまった前後方向(図4ではX方向)を元に戻そうとして、Y方向やZ方向を軸にくるくる回ることを意味します。その結果、前後は元に戻したものの、別の方向(回転軸ではないもう一つの方向)が逆転してしまったのです。
図4 X、Y、Z軸を鏡に映す
3つの方向のうちの一つが逆転した場合は元と重ねることはできない、と書きました。それでは、2つが逆転した場合はどうでしょう。今度は、残った方向を軸にくるりと回すと元の形に戻ります(図5(a))。このことは、鏡に2回映してやると元と同じ像に戻る、ということを意味しています。
ついでに3つ全部を逆転させてみましょう。2つが逆転した場合は元と同じ形だったわけですから、そこからさらに残りの1つを逆転させると、初めから1方向だけ逆転させたのと同じことになりますので、元の像とは重なりません(図5(b))。
図5 複数の軸を逆転させると・・・・・
このように、奇数回の逆転、つまり鏡に奇数回映すという操作をすると、元とは重ならない像(鏡像)になり、偶数回の逆転操作では、元と同じ像が得られます。逆転させる方向は同じ方向でも異なる方向でもかまいません。同じ方向を2回逆転させれば当然元に戻りますし、2回の操作で異なる方向を逆転させても、例えば図5(a)のように、適当にくるくる回せば元と重なる像が得られるのです。
このことを示す面白い事例があります。それは、
光学機器の話でも書いた、「左右が逆転しない鏡」です(鏡が逆転させるのは左右ではなく前後ですが、ここでは、行き掛かり上、この言葉を使いました)。図6のように2枚の鏡を直角に配置したもので、この鏡の前に立って右手を挙げると、鏡の中の自分も右手を(つまり、向かって左側の手を)挙げるのです。
図6 左右が逆転しない(と言われる)不思議な鏡
この鏡の原理を示したのが図7です。上段は図6の鏡の前に物体を置き、真上から見た様子を表しており、下段は鏡を正面から見た時に映る像の様子を示しています。この図では説明しやすいように鏡に映った像の色を変えていますが、本来は当然、元と同じ色に映ります。
図7 図6の鏡の原理
図7(a)で、まず半分だけを考えてみましょう。物体は右の鏡に映り、鏡の中に青色で示したような1次像を作ります。次に右の鏡そのものが、左の鏡に映りますが、その時に、右の鏡に映りこんでいた物体の1次像も一緒に左の鏡に映り、左の鏡の中に、図に青で示したような2次像を作るのです。この2次像は鏡で2回反射されていますから、普通の鏡像ではなく、元の物体とピッタリ重ねることができる像になっています。全く同じように、初めに左の鏡に映った1次像は、右の鏡の中に2次像を作ります(図の赤の像)。その結果、全体として図7(a)の下段に示したような、普通の鏡像とは左右が逆の、元とピッタリ重なる像が作られることになるのです。このような鏡は、「左右が逆転しない鏡」と呼ばれたりするのですが、これまでの内容を読んで来た方には、この表現があまり適切ではないことがおわかりでしょう。普通の鏡は前後だけを反転させますが、この鏡は2回反射させることで前後だけでなく左右も本当に反転させるのです。「左右が逆転しない」どころか、「左右も逆転する」鏡であったわけです。
この鏡を作る時には、2つの鏡が正確に直角になるように配置しなければなりません。もし直角よりも小さい角度ですと図7(b)のように、また直角よりも大きい角度になっていると図7(c)のように、2つの2次像の位置がずれておかしなことになってしまいます(貴方の顔が三つ目小僧になったり一つ目小僧になったりします)。
ところで、これまで盛んに「左右と上下は区別されない」と言って来ましたが、図7の説明では「左右が反転する」と書きました。これは矛盾していないのでしょうか。実は矛盾はありません。普通の鏡では左右と上下は同等ですが、図7の鏡では、2枚の鏡を横に並べていますから、左右と上下はもはや同等ではないのです。もしも2枚の鏡を、ひらがなの「く」の字のように縦に並べたら、今度は上下が反転することになります。この場合でも、前後と上下という2つの方向が反転しますから、できた像は元の像とピッタリ重ねることができます。
自然界の鏡像
どう回しても元の物体とピッタリ重ねることができない「鏡像」の関係というのは、鏡の中にだけ存在するものではありません。自然界にも、この「鏡像」の関係にある物が存在します。その代表格が、炭素化合物に見られる「鏡像異性体」です。中でも炭素原子に4個の異なる物質が結合した化合物は有名ですね。高校や大学で化学を勉強した人にとっては常識でしょう(図8)。これらの化合物は、その溶液などに振動面の揃った光(偏光)を照射すると、その振動面を右回りか左回りのどちらかに回転させる性質(旋光性)があるため、光学異性体とも呼ばれます。
図8 炭素化合物の光学異性体
これらは、確かに重ね合わせることは不可能ですが、化学的、物理的な性質は全く同じで、容易に区別することはできません。ただし、同じ光学異性体を相手にする場合は別で、その「形」が互いに影響し合いますから、例えば光学異性体の片方だけから成る固体に、図8のような2種類の混合物を吸着させると、形が合う一方の異性体がより多く吸着されたりします。
この光学異性体で面白いのは、自然界での存在の偏りです。生体を構成する重要な要素であるアミノ酸や糖類には光学異性体が存在するものが多いのですが、人間も含めて、生物の体にはその一方だけしか存在していないのです。確かに生物の体内で起こる色々な反応には分子の形を問題にするものが多いので、どちらか一方に統一されていた方が有利です。しかし、互いに鏡像関係にある異性体は同じ性質を持っているのですから、どちらが選ばれてもよいはずです。生物進化の初期に、何らかの原因でどちらか一方が選ばれたのか、あるいは初めは両方存在していたものが、一方だけが競争に勝って残ったのか、私は専門家ではないのでよくわかりませんが、興味深い問題ですね。この宇宙のどこかの星には、地球上とは全く逆の光学異性体で構成された生物の世界があるかもしれません。反物質(電子に対して陽電子、陽子に対して反陽子、などでできた物質で、物質と反物質とがぶつかると消滅してしまいます)でできた世界を考えるよりも、はるかに可能性は高そうに思えるのですが、いかがでしょうか。
自然界には一方の異性体しか存在しないと書きましたが、人工的に合成すれば、どちらもできます。というよりも、両者が混ざったものができてしまうのが普通で、片方だけ作る方がはるかに難しいのです。これらの人工的な光学異性体は化学的・物理的な性質が同じだと書きましたが、その存在が一方に偏っている生体においては、いろいろと違った挙動をする場合が出て来ます。例えば、アミノ酸の一種であるグルタミン酸のナトリウム塩は化学調味料として有名ですが、うまみを持っているのは、その光学異性体の一方のみ(生体に存在している方)です。舌の上の味を感じる部分が一方の異性体しか認識しないことによるのですが、これは人間の味覚が、体に必要なタイプの物質を味という観点で自然に選り分けるように進化した結果なのでしょう。ですから化学調味料として使うには、一方の異性体だけを合成する必要があり、これには通常は微生物を使っています(化学合成した後で一方だけを選り分けることはできるのですが、割高になってしまいます)。つまり、人工的に作ると言っても、化学合成するのではなく、生物の力を借りるのです。
グルタミン酸の他にも、メントールなど、味や臭いに大きな差がある光学異性体が知られています。味や臭いは、それを感じる特殊な器官が特定の形の分子だけを認識することで知覚されますので、光学異性体のような形の違いが反映されやすいのでしょう。
味や臭い程度のことならば大した問題にはならないのですが、異性体の違いが、時としてとんでもないことを引き起こす場合があります。1960年前後に大きな社会問題になったサリドマイドもその一つです。サリドマイドというのはドイツで開発された催眠、鎮痛剤ですが、この薬を妊婦が服用することによって、子供に奇形が発生したのです。後になって、サリドマイドの光学異性体のうちの一方に奇形を誘発する性質があることがわかりました。発売当時はこのことがわからず、両方の異性体が混ざった形で世に出てしまったのです。ほんのわずかな違いが、これだけ大きな差異を生じてしまう。生体というのは実に不思議なものです。
物理の世界の左右非対称
光学異性体では、特に生体内で違った挙動をする場合があることを述べました。しかしこれは、作用する相手(つまり生物)も光学異性体の一方でできているからこそ起こることです。もし、全く逆の光学異性体でできた生物がいたら、グルタミン酸やサリドマイドの作用も全く逆になったでしょう。つまり、全てがひっくり返れば結果は同じになる、ということです。
鏡に映った世界は単に光の反射によってできた虚像に過ぎません。しかし、もし仮に鏡の中の世界が別の世界として存在していたならば、そこでの自然法則は、鏡の外の世界の自然法則と全く同じになると予想されます。「自然法則は左右対称である」。本当でしょうか。身近な例で調べてみましょう。このためには、普通の世界で起こる現象を鏡に映してみて、鏡の中の世界での現象が外の世界の法則でちゃんと説明できるかどうかを確かめればよいのです。
図9 鏡の中の世界でも自然の法則は同じ
図9を見てください。図の左側が外の世界で、右側が鏡の中の世界です。この図では鏡が画面に垂直に配置されていますから、鏡面に対して垂直方向、つまり左右が反転しています。
図9(a)は、右投げのピッチャーがカーブを投げた時の状態を示しています。ボールは上から見て左回りに回転していますから、前から来る空気の流れと回転方向が逆になるボールの右側では空気の流れが遅く、方向が一致する左側では速くなります。その結果、流れが速くなると圧力が低下するというベルヌーイの定理に従って、ボールは右側からより強い圧力を受け、左へとカーブします。一方、鏡の中の世界ではボールは右回りに回転しています。ボールの進行方向は外の世界と同じですから、ボールの左側の空気の流れは遅く、右側は速くなり、右へカーブ(シュート)することになります。鏡の中の世界で起こっている現象も、外の世界と同じ法則でちゃんと説明でき、何の問題もありません。
図9(b)は、プラスに帯電した電極にマイナスの電荷が引きつけられる様子を示しています。鏡の中の世界では、電極の位置関係が逆になっていますが、やはりマイナス電荷はプラス電極に向かって引きつけられることに変わりはなく、問題なしです。
図9(c)はどうでしょうか。この図は、コイルに電流を流して電磁石を作り、その電磁石で方位磁針を動かす様子を示しています。外の世界で図のように電流を流すと、右ネジの法則にしたがってコイルの左がN極、右がS極になりますから、方位磁針のS極がコイルに向かって引き寄せられて、左回りに回ります。一方、鏡の中では、コイルの極性はやはり左がNで右がSですから、方位磁針のN極が引き寄せられて左回りに・・・・・。あれっ、おかしい。鏡に映したときには方位磁針は図のように右回りに回るはずでは? さあ困ったことになりました。このままでは左右対称が崩れてしまいます。でも心配はいりません。実は方位磁針の極性が元のままであると考えたところに間違いがあるのです。
図9(b)の電荷の場合は、「電荷」というものが本当に実在しています。ところが図9(c)の磁場の場合には、「磁極」というものは、本質的な存在ではないのです(電荷ではプラスだけ、マイナスだけで存在できますが、磁極の場合はN極だけ、S極だけというものはありません)。それでは磁場の正体は何かと言うと、磁石を構成している原子が持つ電子の回転運動に基づく一種の電流なのです。ですから、これを鏡に映すと、電子の回転方向が逆になりますので、磁石のN極とS極もひっくり返り、方位磁針の赤色の方がS極、反対側がN極になります。そうすると、コイルのS極に引き寄せられるのは方位磁針の色の付いていない方、ということになりますから、磁針はちゃんと右に回転するのです。ここでも「左右対称」はきっちり成り立っているということです。
以上のように見て来ると、鏡の中の世界でも、外の世界の法則はそのまま当てはまりそうですね。実際、これに反するような事実は長い間見つかっていませんでした。ところが1950年代後半に、そうではない現象が見つかってしまったのです。その内容は図10のようなものです。
図10 初めて見つかった左右非対称の現象
コバルト60という放射性元素は電子を放出して別の元素に変わります。そこで、コバルト60を極低温に冷やして動きを止め、さらに磁場をかけて原子核の回転方向が揃った状態にして、飛び出してくる電子を調べたところ、回転方向に対して右ネジが進む方向と逆の方向に飛び出す電子の方が、右ネジの進む方向に飛び出す電子よりも多かったのです(図10左で、上向きに飛び出す電子の方が多い)。これを鏡に映してみましょう(図10右)。鏡の中の世界では原子核の回転方向は逆になりますが、電子は元と同じように上向きに飛び出す方が多くなっています(図の青矢印)。ところが、「右ネジが進む方向と逆の方向に多く飛び出す」という法則を当てはめれば、電子は(赤矢印のように)下方向に多く飛び出さなければなりません。そして実際に実験した結果もこうなるのです。つまり鏡に映った像は、自然法則に従っていない、ということです。これが左右対称の破れ(パリティの非保存)を初めて実証した有名な実験です。その後、(物理の世界で弱い相互作用と呼ばれる範疇の現象に限られていますが)さまざまな左右非対称の現象が見つかっています。どうやら神様は、右と左を同じようには扱わなかったらしいのですが、なぜこのようなことが起こるかは、まだはっきりはしていないようです。
余談ですが、宇宙で起こるいろいろな現象には上記の左右非対称の物も多く含まれており、宇宙空間には、偏った性質の電子や放射線が飛び交っています。生物の元になるアミノ酸などが作られる際にこれらの偏った放射線などが影響し、その結果、一方の光学異性体ばかりを持った生物が進化した、という説もあるようです。こうなってくると、パリティ非保存などというややこしい物理の世界の話も、何となく身近に感じられませんか?
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